うしです。
- アロワナを育てる

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【Piggyback Ride】

 人の足を抱えてうんうん唸るうしの子を見下ろしながら、カタログ片手に苗の仕入れ先を思案する。

 こいつの中では、牛は荷を運ぶ側だということになっている。何がどうしてそんな半端な形で常識が稼働しているのか、相変わらず仕組みは謎のベールに覆われているが、ともかくそういうことになっている。その視点によると、私がこいつを抱えて運ぶのは合理性を鑑みてやむを得ない暫定的な処置であり、一日も早く立場を逆転させねばならないらしい。
 一度決めたらテコでも動かない、本当にどうかと思うほど動かない(これを言うと何故か凛は白い目でオレを見る)子供を、一々説得するのは骨だった。いつもいつも腹を割って半日潰すというわけにもいかないので、特に害がなければ好きにさせる方針だ。この分なら良い筋トレになるだろう。何しろやる気なら溢れんばかりに漲っている。
 それなり智恵が回り出した子供は、セミのようにしがみつくばかりが能でないと理解したらしく、持ち上げ方に工夫を凝らし始めた。創意工夫は知力の源泉と言う。精々励め、と床を確り踏み締めてこちらも応戦する次第だ。大人げないと言うなかれ。全力で挑んで来るのに、手加減でぬか喜びさせるのは教育上よろしくない。大体、こっそり足を持ち上げてやったりしたのがバレでもしたら、子供が一体どれほど拗ねることか。

 だからといって応戦の必要があるのか、というのは別問題だが、そんな話はおいておく。

 そういうわけで、私の手製のうし柄で全身を包んだ子供は、今日も今日とて足元をうろちょろと、あらゆる角度から取り付いて、持ち上げようと懸命だ。ぺたぺたと触れてくる小さな手がこそばゆい。ちょっとばかりガリバーの気分である。
 両足一遍に持ち上げる、というのを渋々ながら諦めたのはなかなか身の程を弁え……てはいない。試み自体がそれ以前の問題なのでそんなことは言えないが、ともあれハードルを一旦下げようという取り組みは間違っていない。現在は、突っ立った私の足の間に入り込んで、背を低く撓め、全身を使って右足に巻き付いている。ふむ、なかなか腰が入っているじゃないか。

 なんてことを呑気に考えていたのは、最近の平和すぎる生活で、オレの危機管理能力がよっぽど鈍っていたからだろう。

 カタログに視線を戻した時だ。下からやたらと勇ましいかけ声が耳に届く。
 同時に、目の前が真っ白になった。
 対照的に、意識を塗り潰したのは暗黒の絶望だ。痙攣する手からばさりとカタログが落ちる。惑星を用いたピンボールが行われている愉快映像が、走馬燈のように頭をよぎった。腰で何かが爆発したというか、人目憚らず天に向かって叫び続けたいような衝動があるのだが、叫んだら最後叫ぶ羽目になっている現実を受け容れねばならないと知っている。つまり生存本能が現実逃避を要求していた。いや、平和って素晴らしい、と現実からの離脱に成功した自分が死んだ目で呟く。ここが戦場だったら呆けてる間に死んでるところだ。
 認めがたい現実と向き合うのなら、絶望の正体は痛覚だ。同種の痛みに経験がないわけではないのだが、弁解させてもらうとああいう時は通常、アドレナリンが大洪水を起こしている。平時も同様に対処しろというのは横暴だ。
 下腹部に抉るような鈍痛。オプションで吐き気がついてくる辺り、内臓に直接衝撃を受けた時の感覚とぴったり重なる。まぁダメージを受けたのは体外にある内臓なので当然だ。

 そりゃ、あの体勢から力いっぱい体を起こせば、頭突きが金的に決まるだろう。

 腰を叩いて悶絶すること数十秒、子供を見下ろした目が多少殺気立っていたとしても容赦してほしい。ついでに、軽く涙目になっていたとしても武士の情けで見て見ぬ振りをして頂きたい。当然のことながら子供に怒りを向けているわけではない。これは、世の理不尽に己の生まれた意味を問い、無神論者が神に祈る、そういう類いの痛みなのだ。意味する所は尋ねられても答えられない。聞くな。
 だが、見下ろしたところでオレは、股から下腹部にかけてのぶん殴られるような痛みを一時放り投げることになった。

 大きな目を零れんばかりに見開いた子供が、呆然と震えている。言葉を発することができないのか、小さな口がはくはくと空しく開閉していた。怯えているのではない。ただただ自分のしでかしたことに衝撃を受けたらしい顔は、血の気が引いて真っ青だ。
 これは、他人の傷をとことん忌避する。無意味に誰かを傷つけようなどとは夢にも思わないのは勿論のこと、痛みを訴える誰かがいれば小さな手を懸命に伸ばそうとする、そういう生き物だ。それが、良かれと思ってしたことでオレを傷つけた。その事実は、誰よりも当人を打ちのめしたようだった。
 いや待て。二度三度あっては困るが、今のは止めなかったオレも悪い。幾ら何でも、小さなお前がそんなこの世の終わりみたいな顔をするような話じゃない。そう安心させてやりたいのは山々なのだが、多分今のオレの顔で言っても説得力が全くない。そして考えをまとめようにもともかく痛い。

 切羽詰まった状況と、自分の男性の危機を訴える痛みに大混乱した頭は、見下ろした子供の胴をガシリと両手で引っ掴めというシグナルを発した。ビクリと体を強張らせるうしの子。構わず雄叫びと共に頭上に持ち上げ、そのまま威風堂々の高い高いのポーズに至る。そして衝動の赴くまま、小さな体を八の字に振り回し始めた。ALL人力のアトラクションと言ったところである。何故そんなことを、と言うのなら、火事場から老人がピアノを担いで逃げ出すとか多分そういう類いの現象だ。全く関係ないかもしれない。
 ともあれ、頭上に持ち上げれば顔を見せずに済む、子供の気も多分紛れる、オレが自省を取り戻すまでの時間が稼げると三拍子揃った打開策であった、とようやく痛みが引いてきたところで気がついた。運動量以上に無駄に上がった息を整えながら、持ち上げた子供を肩車の形に落ち着ける。
 見上げると子供は、初めておひたしを食べさせた時の記録を超える、未知の善い物と出会った人間しか見せないキラキラと輝く目で辺りを見渡していた。感動と共に小さな口が開かれる。

「…………たかい」
「……うん、高いな」

 はぁ、と溜息をついて、子供を床にそっと降ろす。そうか、こういうスキンシップは有効だったのか。今後の参考にするとしよう。
 ああいうことは大変に物凄く危ないので絶対にしてはいけない、と諭すと、子供は神妙な顔で肯いた。

   ◇

 そんなことがあって数日後のことだ。私は魔術師協会への上納金の申告書を床に広げて胡座をかいていた。同居人のことがあるので、今年からはあまり適当な真似もできない。金の出入りが増えるからその対策も必要だ。
 元々家計簿を細かくつける人間だったので、この手の書類作成は然程苦手というわけではない。が、勿論好きでもない。別資料の参照だらけで、しかもその在処がはっきりしないとなれば尚更だ。
 自然、顔つきが険しくなっていたのは否めない。そんな中、背中にぺたん、と子供特有の高い体温が取り付いた。なんだなんだと思っている間に、そのままよじよじと背中を登り始める。
 仕事中なので後にしろ、と言うのに先だって困惑した。我儘など言わない子供は、言い付ける間でもなく仕事の邪魔などしたことがない。それが問答無用で実力行使にでるとは何事か。
 羽化に備えるセミが大樹を登るようにして、子供は肩上に到達し、人の髪をわしりと掴んでバランスをとった。おい、抜けたらどうしてくれる。見上げれば、耳がやや上を向いてぷるぷると震えていた。どうやらバランスを取っているらしい。背後を見れば、きっと尻尾も上がっているのだろう。
「どうした?」
 慮外の出来事が起きたなら、まずはコミュニケーションだ。思って頭上に声をかければ、子供も私を見下ろした。何故かこちらも困惑顔だ。疑問を湛えた顔をお互い見つめ合うこと数秒、やや消沈した子供は、おずおずと尋ねてきた。

「元気、でないか?」

 忙しなく瞬きを繰り返しながら言葉の意味を探る。
 元気?
 該当しそうな情報をぐるぐると辿る内に、数日前の出来事を思い出す。あの時、子供を頭上に掲げて仁王立ちしたオレは…………間違いなくテンションは高かったことだろう。あらゆる意味で。
 なるほど、そういう風に理解したわけか、としみじみと納得しながら頭上に手をやり、子供をぽふぽふと撫でる。
「あー、今は、元気がないわけじゃない。少し、むつかしいことをしていて、こういう顔になっている。気を遣わせたな、すまん」
 むつかしい……と、返事を吟味する様子を見せた子供は、やがてしょんぼりと肩を落とした。
「……ごめん。俺、じゃました?」 
「いや、そんなことはない」
 慌てて訂正を入れる。どうもオレは言葉が足らない。
「そうだな、本当に元気がない時には効くと思う。そういう時には、よろしく頼む」
「ほんと?」
「ああ」

 じゃぁひきうけた、と重々しく肯いた子供は、有言実行、その後も度々私の背を登るようになる。
 実践するようになって分かったこととしては、こいつにぺったりと貼り付かれるのは、実際の所、非常にストレス軽減効果が高い、という事実だ。
 今日も瓢箪から駒を転がしながら、農場暮らしは続いている。

作品情報

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作品について

作品名 うしです。
作家名 年齢区分
発行日 2013/10/27 発行イベント
作品タグ Fate/staynight, 弓士, 衛宮士郎, アーチャー,
紹介URL http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2959468
通販取扱

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